人と話すことが嫌だった。
友達が、趣味のアニメの話やお笑いの話、
学内のゴシップ話を盛り上がっていても、
私がにはなにが面白いのか分からなかった。
お笑いや漫画は確かに好きだけど、
それを「他の人に共有する」ということは、私の概念には無かったし、
もともと自分がどう思っているかとか、
そうゆうのを言葉で伝えるなんて、難易度が高すぎる。
でも、みんな、当たり前のように話していたから、その”ワザ”みたいなものは、いつ習得したのか、という方が気になって仕方なかった。
話すことは嫌いじゃない。もともとは。
でも昔、誰かから「何を言ってるか分からない」と言われた断片的な記憶から、
自分から話すことが怖くなってしまったのだ。
そんな私は大学生になり、
またしても、あの不穏な場面と遭遇する。
あの、なんとなく話つないでるみたいな、
何が面白いのかが分からない時間。
でも、その時はなぜか
「自分も入りたい」
と思ってしまった。
が、しかしだ。
長きにわたり、人と話すことを避けてきた私のコミュ力は壊滅的だった。
自分から話すどころか、
「うん」や「そうだね」しかできない。
言葉の知らない赤子の方が、
よっぽどコミュ力が高い。
私は、数少ない持ち札の中で、
必死に自分の「得意」を探した。
そうして分かった。
別に、しゃべらなくてもよくね?
と。
私は、画期的な技術があることに気づいた。
「非言語」
コミュ力・語彙力ともに皆無である身からすれば、一筋の光りが見えたような、心の灯が再び火を灯したような、そんな感覚だった。
ようやく、
自分の居場所を見つけたような、
不思議な安心感と安堵感に包まれていた。
今でも、私は、
人と話すことが嫌いだ。
未だに、自分から話し出すことに抵抗がある、
しかし、今の私は、
非言語能力を使いこなす、
非言語マスターだ。
話さなくても、身ぶり・手ぶりを使って体で表現することができる。
言葉では伝えられなくても、
心は繋がっているのだ。
(何いうてんねん)
今では「笑顔」が主流で、
うまく話せない私を
全力でフォローアップしてくれている。
コミュ力が無いなど
たいしたことではない。
口角あげていけ。